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女子♩旅♩海外♩負の世界遺産アウシュビッツへ〜ポーランド・クラクフ編

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女子♩旅♩海外♩負の世界遺産アウシュビッツへ〜ポーランド・クラクフ編

2018年のゴールデンウィークに、カタール航空を利用し、ドーハ経由でオーストリアのウィーン、チェコのプラハ、ポーランドのクラクフ(アウシュビッツ)、ハンガリーのブダペストの4カ国を廻ってきました。

プラハ駅から夜行列車に乗って、ポーランドの第2の都市、クラクフを目指しました。クラクフに行く目的はただ一つ。負の世界遺産である、アウシュビッツ強制収容所を見学するためです。

何故にアウシュビッツ!?

これは、旦那サマが結婚当初から希望してた旅先でして結婚8年目にして今回、ようやく実現できたのでした。

 

負の世界遺産・プラハからアウシュビッツへの行き方

まずは、プラハ中央駅から夜行列車に乗りました。チケットは予め日本で予約しておきました。1等の寝台列車はこんな感じです。2段ベッドでなかなか快適でした。

ベッド脇は、簡単な荷物置き場とハンガー掛けと洗面台があります。

朝食は、パンとジュースという簡単なものでした。個人的にはパンがグルテンフリーだったので有り難かったです。コーヒーか紅茶は希望すれば、無料で持って来てくれます。

クラクフ駅に到着かと思いきや、手前の駅で降ろされました。かなり朝早く起きて支度しなければならない状況になり慌てました。

何とか、別の列車に乗り換えてクラクフ駅を目指しました。

朝6時過ぎ。。。ほぼ誰も歩いてません。。。

ようやくクラクフ駅に到着です。

アウシュビッツへは、駅からさらにバスで移動します。チケット購入の際は「アウシュビッツ」では通用しません。「オフィシエンチム行きに行きたい」と伝えればスムーズに行けます。ご注意ください。

約1.5時間くらいバスに乗って移動します。8時半過ぎに出発し、到着したのは10時過ぎでした。

 

 

アウシュビッツ強制収容所でのチケットの買い方

チケット売り場では、すでに長蛇の列です。ツアーの方は並ぶ必要はありませんが、個人旅行者は、このように並んでガイド付きのツアーに参加します。

アウシュビッツ強制収容所の唯一の日本人のツアーガイドさんは、中谷さんという方です。彼にガイドをお願いしたくて、メールで予約を試みましたが、既に団体客の予約が入ってるとのことで、日本語ガイドは諦めました。

40分ほど並んでチケットを購入できました。

 

 

アウシュビッツ強制収容所

施設内にはレストランもありますし、関連書籍や両替所もあります。

英語のガイドだったので、日本語の案内書を買いました。

正直、ここは、とてものどかな場所です。タンポポが咲いてたりして、到底、過去にそんな悲惨な出来事があったとは思えない程です。

私たちを担当してくれたガイドさんです。英語で客観的に丁寧に説明してくれました。

 

「働けば自由になれる」有名な門からスタート

見学はこの門からスタートします。誰でも一度は目にしたことがある、有名な門です。「働けば自由になれる」と書いてありますが、誰一人して自由になれた人はいなかったとガイドさんは説明してくれました。

煉瓦造りの建物が整然と並んで建てらてます。

アウシュビッツ収容所の歴史は、1940年6月14日〜ソ連軍によって解放された1945年1月27日まで4年7ヶ月です。

「ホロコースト」という人類史上例をみない悲劇の場所です。

ホロコーストとは、「ユダヤ民族大虐殺」を表す言葉です。

収容所の犠牲者は、110万人と言われてます。

収容所の犠牲者のみならず、欧州全体で600万人と言われるユダヤ民の犠牲者のうち、多くがエンジンの排気ガスや害虫駆除薬で殺されました。

死体は野原に積み重ねられまとめて焼かれました。

彼らは、害虫や生ごみ扱いされていたのです。

出典:ホロコーストを次世代に伝える 著書:中谷剛

欧州のあらゆる場所から、この収容所にユダヤ人が集められました。

ヨーロッパ中からユダヤ人がアウシュビッツ強制収容所へ集められました。

これは、毒ガス(ツクロンB)の缶です。

ナチスは、利用できるものは利用しようというスタンスで、あらゆるものを選別して集めて、使えるものは再利用したそうです。女性たちは、収容所に連行されるとすぐに髪を切られました。その髪は布地に再利用されました。実際に、髪で作った布が展示されてました。

 

これは大量の靴です。

大量のブラシです。(靴磨き用、歯ブラシ、顔そり用のブラシ等)

メガネのワイヤ部分です。

大量の旅行鞄です。

大量のマグカップです。

義足や杖なども展示されてます。明らかに障害者で奴隷労働者として使用に適さないユダヤ人は、アウシュビッツに連行されるとすぐにガス室で殺されました。

とても悲惨な出来事ですが、ガイドさんは淡々と客観的に説明してくれます。もし行ったら、必ずガイドをつけるのをオススメします。

まるで学校のようなアウシュビッツ収容所。同じような悲惨な出来事を繰り返さないために、このアウシュビッツミュージアムが作られました。

すでに亡くなられましたが、アウシュビッツ収容所から生還を果たした館長だったスモレンさんは、説明中、涙しながら聞く訪問者にこう言ってたそうです。

「そんなに泣かないで下さい。ここで起きたことに悲しみを感じることも必要ですが、どうしてこんなことが起きてしまったのか落ち着いて考えてみることも大切です。将来、こんなことが二度と繰り返さないためにどうしたら良いのか?と。」

出典:ホロコーストを次世代に伝える 著書:中谷剛

 

アウシュビッツ強制収容所の建物の内部を見学

アウシュビッツ1の収容所が出来て最初の数ヶ月は、被収容者は床にしいた藁ゃ藁布団に重なり合って夜を過ごしました。徐々に藁布団が三段の簡易寝台に代わりました。

3段の簡易寝台

収容所は人で溢れかえっていたので、実際の制限人数を超えていました。

 

アウシュビッツでの女性

アウシュビッツでは、全体で約131,000人の女性被収容者が登録されました。主にユダヤ人(82000人)、ポーランド人(31000人)ロマ:ジプシー(11000人)で、そのほかにロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人、ドイツ人、フランス人、チェコ人などがいました。収容所に登録され被収容者40万人のうち女性は約30パーセントを占めました。

選別時に労働不能とみなされた数多くのユダヤ人女性(老人、障害者、病人、子供連れの母や妊婦)は連行後、すぐにガス室で殺されました。

 

収容所で生まれた子供について

1942年からドイツはアウシュビッツへ女性を送り始め、その中には妊婦もいました。1年以上の間、収容所で生まれた子供は、たいてフェノール注射で毒殺、あるいはバケツの水で溺死させました。1943年半ばからユダヤ人以外の女性から生まれた子供は生かし、登録して囚人番号をつけました。ユダヤ人の女性収容者の子供は、ドイツがアウシュビッツで大量虐殺を中断した1944年11月初旬まで殺されました。

例外だったのは、テレジン(チェコのユダヤ人居住区)のユダヤ人家族収容所とジプシー収容所で、新生児は殺しませんでした。それでも、1944年夏の両収容所閉鎖時に全ての子供が死にました。アウシュビッツでは少なくとも、合わせて700人の子供が生まれ、60人あまりが解放まで生き延びました。

 

ガス室内部

ここでツイクロンBによってを使って数千のユダ人や数師団のソ連軍捕虜も殺害しました。

ここでは、1日に340の死体を焼くことが可能でした。

ガス室の見学を終えて、色々なものがズシンと来ました。

 

収容所所長の処刑場

 

強制性収容所の残忍性を高めたシステム

生死の境に追い込んだ収容者を効率や競争力を高める方法で働かせ、ナチス・ドイツの利益を生み出しました。

しかし、中には、私服を肥やす者もいて、ユダヤ民から奪った財産を手にした他、飽食生活を送った者もいたそうです。

囚人に逃げろ!と耳打ちして、その駆け出した囚人を背後から銃殺するナチスもいました。脱走者を仕留めると山荘で三日間の休暇を得ることができたのです。強制収容所の残忍性だけでなく、それを可能したシステムにも注目すべきかもしれません。

 

 

死の壁

これは「死の壁」です。ここでは、5,000人あまりの主にドイツ緊急裁判所で死刑宣告を受けた警察囚人や被収容者が銃殺されました。

参考資料:追悼の場 アウシュビッツービルケナウ 案内所

 

ビルケナウ強制収容所

アウシュビッツ強制収容所から、ビルケナウ強制収容所へは、無料のシャトルバスが運行してます。約15分ほどで到着します。

ビルケナウ強制収容所は、ポーランド人の村民を強制追放して建設されたものです。このビルケナウ収容所は、

最大のユダヤ人殲滅施設となりました。

最初の計画では、10万人の被収容者を念頭に置いて作られましたが、構想が変わり、20万人に増加しました。

1944年春までに、300あまりの木造バラック。ナチスのための40の兵舎と病院を建てました。

電流を流した16キロの有刺鉄線の柵を立てて、10数キロ道を敷き、13キロに及ぶ溝の排水システムを作りました。

1944年半ばからユダヤ人殲滅のための輸送列車が進入した門は、ナチスの中央監視塔の機能も果たしました。

ビルケナウ強制収容所は、50万人以上のアウシュビッツ強制移住のユダヤ人を乗せた列車の終点でした。

新来者の大部分は、ナチスの医師に労働不能と見なされると、その日のうちに数百メートル離れたガス室で殺害されました。

ワルシャワから強制移住のポーランド人13000人も運ばれて来ました。他の収容所へ移管するため数千人の被収容者を乗せた列車がここから発車したこともありました。

この貨車の中に詰め込まれて運ばれて来ました。

 

 

ガス室

このガス室では、100万人近いユダヤ人(子供、女性、男性)を殺害しました。死体は焼却炉や焼却用の窪地で焼きました。収容所内で死んだり殺害された被収容者の死体も焼却炉で焼きました。

ナチスの記録によると、アウシュビッツの一日の焼却能力は5つの焼却炉合わせて、4,756死体でした。

 

死体置き場

このレンガの建物は、死体置き場です。
いかに効率的に殺して焼却するかが考えられました。

殺害された死体をガス室から引き出したのは、ナチスにそれを強いられたユダヤ人被収容者でした。焼却前に被収容者たちは、死体から貴金属類がついた歯や宝石をとって髪を切りました。

完全に焼けていない人骨を粉砕した後、灰をトラックに乗せてヴィスワ川に振りまきました。人骨の灰の痕跡が焼却炉区域や焼却用のくぼみに現存します。

個性を消され、番号化された収容者は、「オランダ靴」と呼ばれた木靴を履いて働かされました。ビルケナウはもともと湿地帯だったので、雨が少し降るとぬかるみに足を取られました。

労働中は、いつも走ることが強制され、歩くことは許されませんでした。収容者の多くは、栄養失調と病気が重なり命を落としました。

 

女性用のバラック

保健・衛生設備の使用制限と人で溢れかえった状態はシラミやネズミの災いで、伝染病が収容所で発生する原因となりました。

三段ベッドで内部は暗く、上段、中段、下段にそれぞれ3人か4人づつが寝起きしてました。下段は最悪で、雨が降ったら水浸しになるし、冬は地べたの冷気で寒い。衛星環境も最悪でネズミが駆けずり回っていたそうです。

トイレは人間の尊厳などないコンクリート製の構造物に穴を開けただけのもので、しかも下痢で間に合わない。。。

ポーランドの冬は厳しく、零下20度以下になることもあります。収容棟には、簡素な暖炉があったものの、凍傷や肺結核が死因となる人も多かったそうです。

 

これは、焼却炉です。

 

全ての見学を終えて

ビルケナウ強制収容所は、そんな恐ろしいことが起きたとは到底思えないほど、タンポポが咲いていて、のんびりとし、穏やかな場所でした。

ガイドさんの説明を終えて、無料のシャトルバスで、アウシュビッツ強制収容所まで戻って来ました。お昼を過ぎていたので、どんな悲惨な話を聞いてもやはりお腹は減ります。。。

バスの停留所近くの売店で、サンドイッチを買って、芝生の上で食べました。

リトアニアの首都カウナスで領事代理を務めていた、杉原千畝氏は、

ポーランド人情報将校たちに接触してドイツやソ連の出方を探る冷徹な外交官だったそうですが、自らの責任で日本の通過許可証を発給してポーランド生まれのユダヤ民数千人を助けた人道主義者でもありました。

彼らは、その後、アジア・太平洋戦争が始まる前にアメリカへ船で渡った一部を除いて、日本占領下の上海にあったゲットー(ユダヤ強制居住区)で過ごすことになります。人道主義の観点から決断し、一市民を救うために、最後まで必要書類に著名し続けた外交官の姿を日本人と誇りに思いました。

決して楽しい場所ではないですし、避けたくなる場所ですが、私たちに残された最大の問題提起として、また、残された者の責任として二度と繰り返さないために。。。

「そんなに泣かないで下さい。ここで起きたことに悲しみを感じることも必要ですが、どうしてこんなことが起きてしまったのか落ち着いて考えてみることも大切です。将来、こんなことが二度と繰り返さないためにどうしたら良いのか?と。」

出典:ホロコーストを次世代に伝える 著書:中谷剛

ただ悲しむのではなく、どうしてこんなことが起きてしまったのか考える。二度と繰り返さないためにどうしたら良いか?と。

この言葉が頭から離れません。

現地に行って、実際に見てみるのはとても貴重な経験です。アウシュビッツ強制収容所博物館へ行くことをオススメします。

 

 

アウシュビッツ強制収容所への行き方

日本から直接行く場合、ポーランドのクラクフ空港を目指して下さい。私の場合は、ウィーン着だったので、列車を乗り継いでクラクフ駅まで行きました。

クラクフ駅から、バスで2時間くらいでアウシュビッツ強制収容所の博物館に到着します。博物館は、元旦、12月25日、イースターの初日を除く毎日見学できます。あらゆる情報は、ホームページをチェックして下さい。

 

 

まとめ

ここまで書くのが何故かとても辛かったのですが、アウシュビッツ強制収容所を見学した者の義務として、どのようなことが実際に起こっていて、それは、どの国にも起こり得るもので、二度とこの間違いを繰り返さないために書こうと決意しました。

目を背けずに、事実を受け止めて、二度とこの過ちが起こらないようにするために考えることは、残された私たちの壮大な宿題だと思います。

この壮大な宿題について、ほんの少しでも考える時間を作って頂けたらこれほど嬉しいことはありません。

最後までお読み頂きありがとうございました。

参考資料:追悼の場 アウシュビッツービルケナウ 案内所

ホロコーストを次世代に伝える 著書:中谷剛

 

 

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