美食三昧!香港&マカオ!夫婦二人旅

香港&マカオ

美食三昧!香港&マカオ☆夫婦二人旅

2025年2月下旬に二泊三日で香港&マカオを旅して来ました。弾丸旅でしたが、充分楽しめました。そんな旅の記録です。香港は3回目。マカオは初めての旅です。気づいたことや行ったレストランなどを紹介しまーす。

香港はなんといってもタックスフリー!買い物天国と言われる所以です。
ただ、肌感覚としての物価は、東京とあんまり変わらないかも。。。という感じでした。洋服を買った時は、ちょうどセールをしたたのでノータックスという事もありお得感はありました。

中国本土から沢山の旅行者が押し寄せて来てる感じで賑やかさがありました。中心地のモールはどんなブランドもあってココに来たらなんでも手に入るショッピング天国!さらに、驚いたのが、有名ブランドの子供服だけを集めたフロアがあり、日本では絶対ないフロアだなーとビックリしました。

週末のモール内外は若者で賑わってて活気がある感じがしました。しかし、帰国後、YouTubeでみた香港の闇は、福祉が削られ続け、老人が極小の部屋やドリトリーに押し込まれてる現実や若者が言論の自由がなく外国へ移住してる現実と、中国本土からの移住者を優遇する政策など、、、将来の日本というか他人事ではない印象も受けました。

しかし、香港は安全で清潔でそれほど人混みがすごくなくて、皆んな親切で旅行するには最適な旅行先だと思いました。

香港の正式名称は「中華人民共和国香港特別行政区」です。このような特別な呼び方をされているのは、1842年から1997年までの間、イギリスの植民地とされていた歴史的事実から、1997年に中国に返還されたものの、完全に中国として機能できるまでには時間が必要とされていることからです。一国二制度という姿勢が執られているわけです。各国に一つ存在する国旗。香港の場合、正式には区旗と呼ばれます。香港の街中でも見られるバウヒニアという花を白色で描き、その周りは赤色で囲まれています。これは一国二制度を象徴する色とされています。

香港島と九龍半島、その他235ほどの島を含めて、香港特別行政区と呼ばれています。香港全体の土地面積は1104キロ平方メートルで、およそ12%にあたる香港島の一部と九龍を中心に人々が居住しています。

香港の人口は700万人ほど。最も人口数が多いのは中国人(華人)で、全体の95%を占めています。その次に多いのは、フィリピン人とインドネシア人。香港の街を歩いていると、場所によっては一瞬フィリピンやインドネシアにいるのではないかと思ってしまうほど、その人口の多さには驚かされます。彼らのほとんどが香港人家庭でメイドとして働く人たちです。その後に続くのがアメリカ人、イギリス人、彼らはビジネスで香港と関わりを持つ人たちがほとんどと言えるでしょう。日本人の人口は約2万人ほどとされています。

 

久しぶりの羽田空港から香港へ!

海外に行くのは昨年のG.W.ぶりなので、ワクワクです。羽田空港のラウンジは早朝だったので閑散としてました。広々しすぎて、どの席に座ったらいいのか迷うほど。。。

ANAのビジネスクラスの朝食です。今回は和食を選びました。

普通に美味しかったです。ANAのサービスは充実してますねー。軽食を食べる胃袋は持ち合わせてませんでした。(ラーメン、カレーなどが提供されます)

滞在先はインターコンチネンタルホテル

日本から香港までは5時間。着いた途端、真冬の日本より暖かい感じでした。

タクシーでホテルに直行しました。ちなみに、タクシーは現金のみなので注意です。予め用意して置くか、空港で香港ドルを引き出す感じになります。

ホテルは、インターコンチネンタルにしました。中心部から歩いて15分くらいの場所です。眺めは最高でした!

 

香港の中心街を散策

なんとなく、香港ぽいなーと思った写真ですが、数年前より街が綺麗な印象でした。新しいビルと古いビルが混在し、香港らしい雰囲気を感じました。市場をのぞいてみると、沢山の人がご飯を食べてました。

 

こちらのお店は、モーニングで有名みたいでした。メニューをチェックしてみると、かなりの種類のモーニングが豊富でした。軽いブランチなどに利用すると良いかもと思いましたが、結局行けませんでした。

日本では見かけないボール状のスイーツ(?)を見かけました。一個700円くらい。熱心にみて買ってるかたがいました。

 

小腹が空いたので海老ワンタン麺!

中心地のチムサーチョイをブラブラしてたら、小腹が空いたので、念願の海老ワンタン麺を食べてみることにしました。

ラウンジとボリューム満点の機内食をすでに食べてたので、二人で1つを注文してみました。値段は1000円以下だったと思います。人気店で、絶えずお客が入れ替わり立ち替わりでした。

Shek Kee Wonton Noodles

 

ディナーはシェラトン内の中華レストランへ!

せっかく香港に来たのだからと、思いっきり美味しいものを食べよう!!!ということになり、シェラトン内の中華レストランになりました。週末で人気レストランなので予約してから行きました。

店内は高級感溢れる内装で、8割は外国人のお客さんな感じでした。

お料理は、どれも本当に美味しくて感動でした。日本で中華を食べると、自ずと注文するお料理が決まってくるので。。。このレストランはまたリピしたいです。

セレスティアルコート中華レストラン

夜景を見ながら散歩

香港の夜景の美しさを堪能するなら!ぜひ、海沿いを歩いてほしいです。本当に綺麗でしたー!

 

インターコンチネンタルの朝食!

夜たくさん食べたにもかかわらず、お腹が空くのはなぜでしょう!?

朝早く目が覚めてしまい、朝食に向かいました。レストランは二階にありました。ビジネス朝食をしてる方や、出張で来てる感じのビジネスマン、ファミリー。。。賑やかでした。

無駄に自撮りしてしまいましたw。この時期から食欲が増し増しで体重が増し増しになって行きました。

香港で本格的な飲茶を!

朝食を食べて、少し休憩してから飲茶のお店に向かいました。地下鉄で中環に向かいました。

駅を降りてビックリ!!!荷物を抱えた女性たちで大混雑。さらに、路上にダンボールやシートを敷いてピクニック的な感じで座ってて何をするんだろう!?と疑問でした。知ってる方いたら教えてください。

駅周辺はこのような状態でした。フリーマーケットなのでしょうか!?

気を取り直して、飲茶を求めてお店に向かってみました。朝から大勢の香港の方々が飲茶を食べてました!しかし、、、予約してなかったので大丈夫かな!?と思いましたが、あっさり入れました。

ワゴン式の飲茶は日本では食べれませんよねー。(私が知らないだけかもしれませんが)ワゴンが席を回って来て、何があるか聞いて注文したり、近くの店員さんにコレ食べたいと伝えたら、持って来てくれます。ついつい食べ過ぎてしまう。。。とっても美味しかったです。

この焼売は、人気飲茶で、自ら並んで受け取らないと食べれないようでした。後から分かりましたが、席近くの担当のお姉さんが少し時間がかかるけど、持って来てあげるわね!と言ってくれて、わざわざ並ばずに食べることができました。ありがとう!!!

Maxim’s Palace (Central)
美心皇宮 (中環)

いざ!マカオへ!

飲茶でお腹がパンパンになってしまった私たちが向かうのはマカオです!!!
マカオへはターボジェットで1時間で着いてしまう異国です。もちろんパスポート必須です!!パスポートだけは必ず持って行きましょー!
フェリー乗り場近くにはおにぎり屋さんやコンビニがありました。こ、、、コシヒカリ売ってる(笑)
チケットは窓口で購入するか券売機で買います。(ネットでも買えそうですが私たちは現地で買いました。)結構な頻度で出向してるので気軽な異国です。
結構な人が乗り込んでいました。
私たちは二階のビジネスクラスに乗りました。
サンドイッチとおつまみと飲み物は自動的についてきます。お腹いっぱいの私たちは食べずに、お水だけもらって、サンドイッチは返却しました。
一階はなかなか混雑してました。
船に揺られて、少し眠りました。
                         
イミグレーションを楽々通過し、マカオに到着!!!あっという間でした。

香港から西南西へ約64km。マカオは中国広東省の珠海市とつながる半島部分、そして南方へ橋でつながるタイパ島、さらに南方へやはり橋でつながったコロアン島からなります。面積は28.6平方キロメートル、人口約52万人(2007年度)からなり、人種は95%が中華系、残りはポルトガル人やマカイエンサと呼ばれるポルトガル人との混血。

400年前からポルトガル人が居留していたため西洋的な歴史的な建造物も多く、年間を通じて多くの観光客が訪れます。日本人の観光客は1996年の約52万人をピークに減少傾向が続き、 2001年には約14万人。マカオと香港をつなぐ所要1時間の高速フェリーが24時間運行ということで、日本人観光客の多くは香港からの日帰り客になっています。

人口:52万人(2007年度)
面積:28.6平方キロメートル
公用語:広東語、ポルトガル語
通貨:パタカ(香港ドルはマカオでも同率で使用可、その逆は不可)

<歴史

ポルトガル人が海路で中国に到達したのは1513年のことでした。1557年にポルトガルが明から居留権を得たことにより、マカオは、中国における唯一のヨーロッパ人居留地となりました。ただし、この時点ではマカオの領有権は中国にあり、中国がマカオに税関を設置するなど、主権は中国側が有していました。しばしば間違われるのですが、この時点ではまだマカオはポルトガルの植民地ではなかったのです。マカオは、日本が鎖国するまでは長崎との貿易で繁栄を極めていましたが、その後は明清交替期の動乱や、広東(広州)の対外開放により貿易港としてのマカオは次第に衰えていったのでした。

アヘン戦争の結果イギリスが香港島を獲得すると、ポルトガルも1845年マカオ自由港の成立を宣言して中国の税関官吏を追い出し、1848年、中国人による総督殺害事件を機に、タイパ島とコロアネ島を占領し、地租の支払いを停止し、マカオの行政権を取得。1887 年、ポルトガルは清朝との間で香港からの阿片密輸防止に協力する見返りとして「友好通商条約」を締結、ポルトガルのマカオに対する行政権が法的に確立。清朝はポルトガルがマカオを永久に占有し、第三国へ譲渡しないことを承認。これをもって、マカオがポルトガルの植民地となったのです。しかし、その時点ではすでに香港が繁栄しており、それによりマカオの貿易港としての地位は全く凋落してしまったのでした。

その後1941年に起きた第二次世界大戦においてポルトガルは中立国となり、当時東南アジア全体を占領した日本とは交戦状態に入らなかったため、日本軍はマカオを占領せずに駐在武官を置くに止め、中立港として機能しましたが、中国本土から大量の難民が流れ込むことになりました。

その後、1949年には国共内戦に勝利した毛沢東によって中華人民共和国が設立され、中国共産党が中国本土を統治するようになったものの、マカオでは依然としてポルトガルの統治が続きました。しかし、文化大革命さなかの1966年に起きた中国系小学校増築のトラブルをめぐって起きた、中国系住民による暴動の鎮圧の際、ポルトガル軍警察が多数の住民を射殺したのでした。これに怒った中華人民共和国政府が、ポルトガル政府に対して事件の謝罪と以後の中国系住民による統治参加を要求したところ、ポルトガル政府はそれらの要求をほぼ全面的に呑み、以後中華人民共和国の影響力が増すことになりました。

オテロ・デ・カルバーリョ大尉率いる国軍左派による1974年4月25日のカーネーション革命の後に、ポルトガル政府は民主化され、全ての海外領土を放棄することになりました。その後1976年に、ポルトガル政府は新憲法において、マカオをそれまでの海外県から、「ポルトガル行政下にある領域」として再編成し、「マカオ組織章程」を制定、立法会も設置するなど、行政上及び経済上の自治を多くの点で認めました。その後、1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続く形で、1987 年4月13日にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印したことで、マカオの行政権は1999年12月20日に中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになったのでした。

運転手さんの言われるままに街の中心地へ

タクシーで中心地へ行ってみることにしました。ちなみに、香港ドルは使えますが、お釣りはマカオ通貨の「パタカ」で戻って来ます。
香港より田舎で香港の田舎みたいな印象を受けました。時間がゆっくり流れてる感じでリラックスして過ごせました。

 

 

 

新しいマンションと古いマンションが混在してるのが面白いなぁと。

どこか、台湾的な雰囲気も感じました。中華圏は自ずと似てくるのでしょうね。

マカオ名物のエッグタルトを食べに!

マカオ名物のスイーツといえば「エッグタルト」です。これは、ポルトガルの伝統菓子「パステル・デ・ナタ」を起源として、イギリス人のアンドリュー氏が1989年にマカオで独自にアレンジし誕生。サクサクのパイ生地と、とろりとしたカスタードクリームのお菓子です。

濃厚なエッグタルトの甘みと濃いめのコーヒーのマリアージュがとても美味しかったです!。中心地から歩いて15分くらいかかりましたが来た甲斐がありました。

どこのお店だったか、、、見つかり次第、後日リンク先をアップします!

モンテの砦へ(大砲台公園へ)

カフェした後は、周辺をブラブラ。大砲台公園を目指しました。

この大砲台は、17世紀初頭にイエズス会の修道士が建設した軍事要塞で、海賊やオランダを撃退するためにおかれました。つまり、宗教家達が建築した軍事施設です。陸地で広東省とつながる北側以外には大砲が配置され、南側に向けられた大砲は1622年にオランダを撃退するために使用されたそうな。

観光名所の一つなので、大勢の人で賑わってました。

 

モンテの丘(大砲台公園)

 

聖ポール天主堂跡とセナド広場へ

大砲台から歩いて、聖ポール天主堂跡を目指したら、、、ものすごい人!人!!人!!!でした。マカオで一番の人口密集地かもしれません。

聖ポール天主堂跡は、1602年から1640年にかけて建設され、1835年に火事で崩壊した聖母教会と教会の隣に建てられた聖ポール大学跡の総称です。当時の聖母教会、聖ポール大学およびモンテの砦は全てイエズス会による建築物であり、マカオの「アクロポリス」のような存在だったと考えられています。近くには聖ポール大学の考古学的な遺跡が残っており、細密な教育プログラムを整備した東洋初の西洋式大学であった歴史を物語っています。今日では、聖ポール天主堂跡のファサード(正面壁)はマカオのシンボルとして街の祭壇のような存在となっています。

広場も人人人!!!お店が密集してて、まるで門前町のような感じでした。

大混雑!!!!

こちらは、マカオ名物の杏仁餅(アーモンドクッキー)です。試食できます。素朴な甘さがくせにまる美味しいお菓子でした。

一番の観光地だけあって活気がありました。午後に行ったからかもしれませんが、もう少し時間帯をずらした方がゆっくり出来そうです。

マカオ歴史地区へ

広場を抜けると、ガラッと雰囲気が変わります。ヨーロッパ風の建築物の数々と石畳が広がります。

6世紀から約450年間、ポルトガルの植民地として東西文化が交差した独特の文化が形成され、それが今でも建築物や街並みに残っています。ユネスコ世界遺産に登録されてます。

 

なんと!!!マカオにも「ちぃかわ」が!!!大人気でしたよー。

ひたすら街をブラブラしました。

この雑多感が「絵」になるなぁと思うのです。

住宅街の中に、オシャレなカフェがありました。ローカル御用達みたいな雰囲気でした。

 

この黒いニワトリですが、これは、ポルトガルの幸せを呼ぶニワトリ「ガロ」と言うそうです。お土産の定番です。私達夫婦も色違いでキーホルダーを買いました。

まるで、ヨーロッパの街並みでした。マカオは本当に文化が融合してる国ですね。

これは、ゴミ箱です。かなり画期的でした。

カジノで勝ち逃げしました!

大砲台公園から見えた、派手な建物に入ってみることにしました。この建物はマカオの象徴的な存在です。(カジノリスボア

マカオに来たらカジノです!!!

中の様子は写真撮影不可なので、入り口だけです。この入り口だけでも大混雑してるのが分かりますよね〜。

中国本土から沢山の観光客が押し寄せてる感じでした。

 

カジノの結果は、一発勝負で、往復のフェリー代だけ勝ちました!!!

 

勝った後は、カジノ内のバーで乾杯しましたよ。飲みたいカクテルがありましたが、無くて、店員さんが丁寧にオススメを薦めてくれてそれにしました。濃くて美味しかったです(笑)

飲んだら撤収!すぐに帰りました。ある意味、健全でお店にとっては嫌なお客でしたね(笑)

カジノリスボア

再び香港へ!美味しいピザのお店で最後のディナー

マカオ通貨を両替して、いざ、香港へ!帰りのフェリーはやや混んでました。お腹いっぱいの私たちは、ここでも、サンドイッチをスルーして仮眠しました。

やはり香港の夜景は綺麗です。

一旦、ホテルに帰ってから、ホテル近くのイタリアンで香港最後のディナーを食べることにしました。

この味わいのある薬局がいつも気になってました(笑)よる遅くまで開いてます。

ホテルから中心地へ向かう時に、通りががって、美味しそうなお店だなーと思ってたお店でした。ようやく来た〜!

店員さんオススメのマッシュルームのスープ、サラダ、ピザを注文しました。

サラダ、、、めちゃ美味しい!!!

このマッシュルームのスープが本当に絶品!!!注文して良かったです。

ピザはシーフードのピザにしました。沁みましたー!

Pizza Express

 

香港最強の足つぼマッサージかも!?

最後のディナーを食べた後は、とにかく歩き回って、足が限界を迎えていたので、足つぼマッサージに行きました。

中心地にあるお店で、入った時は私達夫婦のみ。ベテラン二人のマッサージ師が担当してくれました。

イタイ、、、とにかく、イタイ!!!でも私は痛さに慣れてるのと、足つぼマッサージマニアなので、良かったです。私の悪いポイントをピタリと言い当てました。腰、膝、肩。その通り!!!

一方、夫は、ずっと苦痛だったようでした。とにかく「サケ」やめなさいと言われて続けてました。これに懲りてお酒をやめる、、、選択肢はないようですが。。。予約してから行ってみてくださいね。

足芸舎

香港出国!

超、早朝に香港の空港について次の目的地へ。朝ごはんに、海老ワンタン麺を食べました。意外や意外!めっちゃ美味しかったです。美食の街香港よ!最後までありがとう。

次回はいつ来れるかしら!?とりあえず、二泊三日でも充分楽しめることがわかったので、気軽に香港を再訪するのもいいなと感じました。

 

次の旅に続く!

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